タイタニック号に乗っていた日本人

タイタニック号の話が続きましたが,今日は
大惨事となった初航海に乗船していた唯一の日本人の話です。
テレビ番組「世界ふしぎ発見」でかなり昔に見た記憶と
今回調べてわかったことを書きます。

唯一の日本人乗客は細野 正文(ほその まさぶみ)氏(1870-1939)。
画像


細野氏は1912年,第1回鉄道院在外研究員としての
ロシア・サンクトペテルブルク留学の帰路にてタイタニック号乗船

ご存じのようにタイタニック号は氷山に衝突し沈没。
細野氏は救命ボートによって助かり,帰国します。
画像


しかし,「他人を押しのけて救命ボートに乗った日本人」という報道
女性や子どもを差し置いて男が助かるなんてという批判が集まりました。

翌1913年,これらの批判によって鉄道院主事を免官となり
平の鉄道事務官に降格

1925年に平の事務官のまま退職し鉄道学校勤務に転職。
1939年に亡くなりました。享年70でした。

細野氏は生涯,事故のことは語りませんでした。しかし・・・
本当に彼は他人を押しのけて救命ボートに乗ったのでしょうか?


1981年,細野正文氏が救助直後に残した事故の手記が発見されます。
タイタニック号の客室に備え付けてあった便せんに書かれていました。

どうも奥さんだけに見せていたのか,残された家族によって発見されます。
(手記の内容は後半に書きます。)

1997年にタイタニックの遺品回収を手がけるRMS財団は細野氏の手記や
他の乗客の記録とも照らし合わせた調査から
「他人を押しのけて救命ボートに乗った日本人を見た」という白人乗客と
細野氏は別の救命ボートに乗っており人違いであることを確認されました。

細野氏が乗り込んだ救命ボート(10号ボート)には
アルメニア人男性と女性しか乗っていなかったと記されていたものの
事故当時,細野はひげをはやしていたためアルメニア人と記録されたようです。

一方,「卑劣な日本人」と記録したとされる白人は別ボート(13号ボート)に
乗っており同乗者には東洋人の船員がいたことが明らかになったそうです。

ただ,一部にそのような外国人の手記は存在しないという話もあります

私が調べて,正しいと思えるのは
・正文氏は10号ボートに乗った。
・生きて帰ったことを日本国内で批判された。
・正文氏は生涯,この事故について語らなかった。


ということです。

やはり,細野正文氏の手記を読むしかありません。
画像

画像


原文は約4300字。漢字とカタカナ交じりの文で書かれています。

4.14~15(4月14日~15日)
天気快晴、午前七時起床、八時朝食、二時昼食、六時夕食、
其間読書シタリ運動シタリ或ハ自室ニテ平臥ナドシテ日ヲ送ル。
夜十時床ニ入リ読書シナガラ稍眠ヲ催フシ夢現ノ時船ガ何カニ
突キ当リタル心地セルモ別段気ニ止メズ、間モナク船停止ス。


「事故」「覚悟」「沈没」「救出」「帰途」・・・の様子が描かれています。

原文は読みにくいので,あるサイトで紹介された要約文です。

-----------------------------
天気は快晴、午前七時起床、八時朝食、二時昼食、六時夕食、その間読書をしたり運動をしたり、あるいは自室で寝転がったりして日を送る。

やや眠気をもよおし、夢うつつの時、船が何かに付き当たったようだったが別段気に止めなかった。間もなく船は停止した。おかしいとは思ったが、大事件が起きたとは思わず、いつも通り寝ていたが、11時頃Stewardが戸を叩くので開いてみると、「起きて甲板に行け」と言う。「何事が起こったのか」と聞いたが答えない。救命浮き具を投げて置いていって、急いで去って行った。甚だおかしいとすぐに服を着たが、急いだので白シャツや襟などを付けず、大急ぎで服を着て甲板に駆け上がって見れば、船客は右往左往とさまよって、皆、救命浮き具を付けている。いぶかしんで(混乱の)理由を聞いたが誰も知らない。甲板で水夫は「三等デッキに下りろ」と言う。言われるがままに下りたが多くの人が下りる様子がないため、また上がると咎められる。(自分が)二等(客室の)船客であると伝えて(甲板に)上がることを許され、急いで自室に帰って財布だけを取って、時計、各国金貨、目鏡などを取るのを忘れ、毛布を掴んで大急ぎで最上甲板に上がる途中、水夫は「下甲板にいろ」と言われたが、聞こえない風をして上甲板に来たら、(救命)ボートを下ろしつつある

(自分の)命も今日で終わることを覚悟して、慌てず、日本人の恥になるまじきと心掛けつつ、機会を待っていた。この間、船上から危機を報せる信号の花火を絶えず上げており、その色は青く、その音はすさまじかった。何となく物悲しさを感じた。船客はさすがに一人として叫ぶ者はなく、皆落ち着いていたことは感心すべきことだと思った。ボートには婦人たちを優先的に乗せた。その数が多かったため、右舷のボート4隻は婦人だけで満員になった。その間、男子も乗ろうと焦る者も多数いたが、船員は拒んで短銃を向けた。この時船は45度に傾きつつあった。ボートが順次下りて最後のボートも(乗客を)乗せ終え、既に下りること数尺、その時に指揮員が人数を数へ「もう2人」と叫ぶと、その声とともに1人の男性が飛び込んだ。私はもはや船と運命を共にするほかなく最愛の妻子を見ることもできないと覚悟して悲しみに耽っていたが、、まだ1人が飛ぶのを見て、この機しかないと短銃に打れる覚悟で数尺の下にある船に飛び込んだ。幸いなことに、指揮者はほかの事に取り掛かっていて深く注意を払っていたなかったし、しかも暗いために男女の区別もつかなかったのか、飛び込むと共にボートはするすると下りて海に浮んだ。

そそり立つような大船が、異常なほどの音を立ててその姿を海に沈めた今、目前にあったのを見たのに、もう陰も形もない。何と有為転変の世の中であることか。沈んだ後、溺死しそうになっている人々の叫び声が実にすさまじく、ボートの中では、その夫や父親を案じている婦人たちの泣く声もまた盛んで、ああ、自分もどうなることかと思う時は気も心も沈んだ心地だった。

(海上を救命ボートで)漂っていると午前6時になった。すると遠方に煙を吐いてやって来る船を見た。さては助かるのかと思ってやや安堵した。7時に船は遭難地点に完全に到着して停止した。それから順番にこの船に救い上げられた。私の(乗った)ボートは最後だった。例によって婦人たちは最優先で私は最後の最後だった。船に上がり終えたのはちょうど8時。ここでほっと一息するとともに感謝の気持ちがむらむらと湧きあがり、滂沱の涙を落とした

2時に夕、昼食。やや心も落ち着くと、おもむろに持ってくるのを忘れた品が惜しい気持ちが出て、特にせっかく苦心して残しておいた各国の金貨その他約70円ほど、選別の時計、土産の時計、新調した洋服、帽子、シャツ、記念の名簿に友人の写真、インク入れなど、とても惜しい心持がして堪らなかった。中でも留学中に書いたもの、日記を失ったのは取り返しが付かない損失だ。人の欲も不思議なもので、今までは生命の安否に心が奪われていたためそれほどまでに思わなかったものの、今は生命もひとまず安全になった見込みだから、それともに品物を惜しむ気持ちが出てきた。

寝室は例によって婦人に先に入ってもらうので、私たちに部屋が割り当てられるはずもなく、Smoking roomで、船の毛布2枚を身に付けたまま靴を穿いて眠った。不思議にも悪夢にもうなされることなくよく眠れた。

午後10時、昨日のように食堂で眠ろうとすると、婦人のみとのことだったので男性は許されず、やむをえず喫煙室に来て見れば満員でとても寝る所がない。なので椅子に座ったままうとうとして一夜を明かした。実につらい航海だった。

-----------------------------

細野氏・・・この名字にお気づきの方もいることでしょう。
ご存じの方も多いと思います。

そうです。
この細野氏とは元 Yellow MAgic Orchestra で世界を席捲した
細野晴臣さんの祖父なのです。
画像

一番手前が細野晴臣さん。

細野晴臣さんは小学生のとき,モノクロのイギリス映画
「SOSタイタニック/忘れえぬ夜」に連れて行かれたそうです。

その帰りに父親に
「あのタイタニックにおじいさんが乗っていた」
と教えられ,驚いたと語っています。
画像


当の正文さんは様々な批判に反論することなく亡くなりました。
自分が体験した出来事を理解することは不可能だろう
と思ったのでしょうか。

家族には,こう語ったそうです。
「俺が今ここにこうして生きているんだから,いいじゃないか」


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 13

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
かわいい

この記事へのコメント

2013年03月22日 13:42
こんにちは。細野晴臣氏関連のCDたくさん持っていました。晴臣氏は新聞で正文氏が悪くない事が証明されて喜ばしいと仰っていました。正文氏が事件について語らなかったのは自分でも当時の状況が良く分からなかったのかも知れません。自分が正しいと主張しなかったのは立派です。無意識的にどんな行動を取っていたかは誰も分かりません。「生きていること」が重要なんですね。
2013年03月22日 15:22
コメントありがとうございます。
やはりこの歴史的な大惨事は人間の想像をはるかに越え、当事者にしかわからないという思いがあったのかもしれません。
それは明治の男の考え方にあった武士道にもつながるような気がします。手記の中にあった「日本人の恥になるまじき」とはそういうことなのではないかと解釈しました。

2013年03月22日 21:41
リアルET先生、こんばんは。
私が中学生の時の英語の教科書に、タイタニック号の悲劇の話が単元として載っていたことを懐かしく思い出しながら読ませていただきました。でも、YMOの細野さんのお祖父さんが乗っていたとは。自分が死ぬかもしれないという極限時に、「日本人の恥とならないように」という発想に至るところに、細野さんの生き方の美学が現れていました。自分だったらどうだろう、と。「女性だから優先されて当たり前。」と、なってしまうんだろうか・・とか。
2013年03月22日 23:23
Blue Windさん
その話とは Miss Evans on the Titanic ではないでしょうか。New Horizon の教材として長く使われていましたが,残念ながら今は載っていません。今でも英語暗唱大会の題材で聞くことがあります。このエヴァンズさんは極限の状況の中で,自分には夫も子どももいないからと他者のために救命ボートを譲った女性。細野さんはこの状況の中で様々な人間模様を見たのかもしれません。彼が一生何も語らなかったのはそういう経験からかもしれません。自分だったらどうしようとも考えます。私だったら救命ボートは無理だとわかった瞬間,船内の浮きそうなものを探しに行くと思います(笑)。でも冷たい海ではなんの役にも立たないかも。
2013年03月23日 06:01
おはようございます^^
昨夜は、コメント嬉しかったです。
実は英検、、私も、英語の先生も塾長も
もったいない。
3級まで受けた方がいいといっています。
私は4級持っています。
次男は都立校が希望ですが、併願で私立を2校
受けさせるつもりです。
漢検と英検は内申の加点になる学校もあると
聞いています。
なので今年はぜひ受けさせたいと思っています。

家庭訪問、、、実は不登校になった子が何人か
いるのです。
でも、選択性になっていいるので
ちょっと遠くから通っている子もいるのです。
次男も学区域より、ちょっと遠いほうです。
なので三者面談が望ましいと思うのです。
教育委員会からのお達し、、、で誰も文句をいえず。
でした。
コメント、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。
一言お礼が言いたくて、ここに来ました。
親身になって下さり、感謝です。
記事に関係ないコメントですみません。

細野さん、、、立派な方だったのですね。
自分だったら泳げないので、パニックになっていると
思います。

2013年03月23日 07:17
そうです、New Horison。ミス・エヴァンズのお話です。
生きるか死ぬかという時に、他人の命を優先できる人は、あまりいないかもしれないですよね。私もエヴァンズさんのようには出来ないと思いますが、だからといって、我先にとボートに乗り移るということも出来ないんじゃないかな・・わからないです。
きっと細野さんも、その場にいなかった多くの人に対して、どんなに言葉を尽くしても「わかるはずはない」と悟っていたのでしょうね。「俺が今ここにこうして生きているんだから、いいじゃないか」その一言に全てが含まれているように思います。
細野さんが生き延びなかったら、『テクノポリス』は聞けなかったわけですから。
風車
2013年04月06日 10:34
細野さんが当時語った記事がありましたので、まとめてみました。よろしければ下記をのぞいて見てください。
kazaguruma.wook.jp
2013年04月07日 07:24
風車さん
ありがとうございました。貴重な資料(電子書籍)ですね。参考になりました。

この記事へのトラックバック