ジョン万次郎と仲間たち(3) 重助編

土佐の宇佐浦を出た5人の漁師は漂流し,鳥島で143日間生きのび
アメリカの捕鯨船に救出され,ハワイに向かいました。

これが5人を救出したジョン・ハウランド号
万次郎が船員からジョン・マン(John Mung)と呼ばれたのは,
この船の名前からジョンをいただいたからだそうです。
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今日は5人の漁師のうち,船頭筆之丞の弟,重助の話です。

重助は鳥島に漂着したときに足を痛めてしまいます。

「狭い砂浜の上で,五人はグッタリと横たわっていた。重助は船の転覆時に足を痛め,うめき声を上げて苦しんでいた」
(「ジョン万次郎 アメリカを発見した日本人」より)

捕鯨船に救出されてからは・・・

「医者は重助の患部に酸のにおいのする膏薬を貼り,その上に油紙をおいて,さらに幅の狭い白布を巻きつけた。病気は一日一日とうすらいでいった」
(「ジョン万次郎漂流記」)

救出されたのが1841年6月,重助は捕鯨の手伝いは思うように
できませんでしたが,11月に船はホノルルに入港します。

ホノルルでは5人は日本のお金などを見せられ,
日本人と確認され,保護された生活を送ります。

10日ほどの休憩の後,捕鯨船は万次郎のみを乗せて
アメリカ本土に向かいます。

残った4人のうち,重助は・・・

奉公の仕事もしましたが,足の回復が悪く療養を続けました
また筆之丞,五右衛門も看病しました。

しかし,その甲斐むなしく1846年1月,31歳の若さで亡くなります
(年号については異説あり。)


万次郎はアメリカに渡った後,英語や数学,航海術を身につけ,
また船に乗り,大西洋から世界一周を成し遂げハワイに寄ります。

万次郎は6年ぶりに寅右衛門と再会し,重助の死を知ります。

井伏鱒二の「ジョン万次郎漂流記」から,寅右衛門の言葉です。

「重助ぬしはまことに気の毒であった。彼は,霊魂だけでも日本に帰るつもりだと言いながら息をひきとった。それは昨年正月の風の強い日であった」


もちろん小説ですから作者の脚色は入っているでしょうが,
重助にとっては無念の死であったことでしょう。

実際は寅右衛門が重助の死に立ち会った記録はないそうです。
立ち会ったのかもしれないし,後で聞いたのかもしれません。

重助は兄の筆之丞と弟の五右衛門に看取られたのでしょう。
(筆之丞と五右衛門は親子と書いてある本もあります。)

重助の墓は,カネオヘという町にあります。
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墓にはこのような文字が・・・
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IN MEMORY OF
JUSUKE
1816‐1841
FIRST JAPANESE DECEDANT TO DIE IN HAWAII


1841年は救出された年なので間違っていると思われます。
「ハワイで亡くなった最初の日本人」とあります。

これは後世の人が作った碑だと思われます。
いろいろ調べても,誰が建てたお墓はわかりませんでした。

でも,重助という土佐の漁師が数奇な運命の果て,
ハワイで亡くなったことは間違いないようです。


万次郎は世界一周の捕鯨の旅を経て,ハワイで寅右衛門と
再会しました。

次回は寅右衛門編です。



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