朝ドラ 「じゅうご」とは?

朝ドラの「エール」がやっと再開し,先日撮りだめた分を見ていました。
ドラマの時代は太平洋戦争に突入し暗い時代となりました。

私はこの時代のドラマを見ると心臓が締め付けられるような気持ちになります。
家族が兵隊として戦地に行き,生活は困窮し,戦争は最悪の結末へと向かうことがわかっています。

二階堂ふみさん演じる古山音が初めて参加した婦人会。

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そこで婦人会のリーダーがこう言います。

本日は竹やり作りをいたします。
これからの日本婦人はジュウゴの守りだけではなく,ともに戦うことが肝要です。
では,始め!」


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ジュウゴの守り?

一瞬,「?」と思いましたが,ある句を思い出し,あのことかと理解することができました。
(朝ドラ好きの子どもには理解できなかったかも。)


銃後といふ不思議な町を丘で見た  渡辺 白泉
(じゅうごというふしぎなまちをおかでみた)

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「現代俳句 上」(ちくま学芸文庫)より。
初出は「風」(昭和13年)で「銃後と言ふ不思議な街を岡で見た」。

広辞苑で「じゅうご」を見てみましょう。

じゅう‐ご【銃後】
戦場の後方。直接戦闘に加わらない一般国民。「―の守り」



つまり,「銃後」とは「前線」の対義語で,戦場から遠く離れた本国にいる一般国民や国内をさす戦争用語

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白泉の句はどこか異邦人的な立場で丘の上から銃後の街並みを見下ろしている感じがします。
そこには時代に対する違和感と批判精神を読み取ることができます。


「銃後の守り」とは・・・
軍隊などで直接戦闘に参加したり戦闘部隊を支援する輸送部隊に参加するのではなく,それら軍隊が消費する資源・物資の供給を支えることによって戦争の遂行と勝利を支援するという考え方。(Wikipedia)

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最後に,英語で「前線」はそのまま・・・

front line
the place where fighting happens in a war [= front]
(戦争で戦いが起きている場所)


一方,「銃後」にあたるのが・・・

home front
the people who stay and work in their own country while others go abroad to fight in a war
(戦争で他が戦いに外国に行っている間,自国にいて働いている人々)


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辞書にはこんな例文が載っています。

The film is set on the home front in 1943.
(その映画は1943年の銃後を舞台にしている。)






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この記事へのコメント

2020年10月05日 09:07
おはようございます。

 そうですか、、、先生の年代が「銃後」と言う言葉を知る境目なんですね。私の母が「銃後の守り」と言う言葉で蹂躙された生活を送った年代でしたので、私は散々その言葉を聞きました。死語になりつつあるのですね。
 ちょっと記憶が曖昧なのですが、米国にも「国防婦人会」や「勤労奉仕」と似たような活動があったはずです。そこでも「銃後の守り」と似たようなスローガンが叫ばれていたのでしょうか。

掲載の「森永ビスケット」の広告、始めて見ました。広告文がとても興味深いですね。
2020年10月06日 23:53
あきあかねさん
こんばんは。返事が遅くなりました。
「銃後」という言葉は白泉の一句に出会わなければ,まず知ることなく来たかもしれません。しかも,戦地に行かない一般の人々という意味は連想できませんでした。これに限らず戦争に関する言葉が死語になりつつあるようです。戦争という言葉自体なくなれば,それはそれでいいことでしょうが。
アメリカの国防婦人会や勤労奉仕について,少しだけ記事として少しだけ書かせていただきます。
大阪ののぶちゃん
2020年10月09日 08:26
国民学校三年生の夏に終戦になりました。私たちの銃後は「馬草刈り」「ショウコン(松根)油」「ひまし油」を作ることでした。
この前、「焼き場の前で亡くなった弟」を背負い順番を待つ少年の番組がありました。アメリカ軍の従軍カメラマンが長崎で撮った一枚の写真を追ったドキュメントです。泣きました。
「鐘の鳴る丘」や美空ひばりの「東京シューシャインボーイ」、「みなしご」という言葉に敏感に反応する私たち世代は大人の起こした無残な戦争の大きな犠牲者です。大阪市や堺市の大空襲。探照灯に映し出されたB29が焼夷弾や1トン爆弾を落としていく。。。
私たちは立派な銃後の戦士でした。
2020年10月10日 06:56
のぶちゃんさん
おはようございます。私には想像のはるか上をいく体験のコメントありがとうございます。立派な銃後の戦士という言葉に深い思いがありました。そこまで当時の少年たちが感じていたと思うと戦争はなんと深刻な,なんと罪深いものでしょう。
焼き場の少年については今年の8月16日に私も書かせていただきました。私もあの番組を見て,多くの子どもたちが偏見から死を選んでいったことを知り,つらくてつらくてたまりませんでした。戦争は本当に罪深いと思った番組でした。