Haiku in English on Sunday (375) 本臥せていつも眼とあふ木守柿
日曜日は俳句の紹介と英訳。
スーパーに秋の果物が並んでいますが,柿もその一つ。

私が俳句を始めたころに読んだ本。

俳句 (講談社学術文庫)
(以前も書いたことがありますが)この本によると,「柿」というお題が出ると,初心者は「柿の木に1つだけ柿の実が取り残されて,夕日が照らしている」のような句を作るそうです。
では,どうしてそういう発想になるのか?
それは柿の実を1つ,または2~3こ木の枝に残しておく風習があるからでしょう。
その残された柿のことを「木守柿」(きもりがき・こもりがき)と言い,俳句の世界では秋の季語,一部の歳時記では冬の季語とされています。
来年も豊作にと願いを込めて柿を残すのが木守柿ですが,他にも鳥への贈り物,旅人への施し,神様へのお供え物,柿への感謝などの意味があるそうです。自然をひとり占めにしない,日本人の感性が生んだ習慣なのでしょう。

本臥せていつも眼とあふ木守柿 福田蓼汀
(ほんふせていつもめとあうきもりがき)
「季語秀句用事用例辞典」より。
福田蓼汀(りょうてい)は1905年(明治38年)山口県生まれの俳人,登山家。
本名は幹雄。父は陸軍中将で母は「ホトトギス」の俳人でした。

福田蓼汀の世界 (昭和俳句文学アルバム)
東北帝国大学法文学部法科在学中に学友の勧めで高浜虚子門に入りました。
1940年には「ホトトギス」同人。1948年,「山火」を創刊・主宰。
1961年の俳人協会設立にも参画,のちに副会長も務めています。
1984年に勲四等瑞宝章を受章,1988年に82歳で亡くなりました。
今日の句は,そのままの解釈でいいのでしょうか。
読書の途中,目を休めるために本を伏せて窓の外に目をやると見える木守柿。
時には鳥がとまってついばんでいるときもあるかもしれません。
「見る」「見える」と言わずに「眼とあふ」と表現したところが,この句のおもしろいところでしょうか。
では,英訳してみます。
本臥せていつも眼とあふ木守柿 福田蓼汀
Laying a book face down
My eyes always catch
The last persimmon left for birds
「木守柿」を句の中で説明するのは難しいです。
この句の中では,鳥のためにわざとの残した最後の柿,としました。
スーパーに秋の果物が並んでいますが,柿もその一つ。
私が俳句を始めたころに読んだ本。

俳句 (講談社学術文庫)
(以前も書いたことがありますが)この本によると,「柿」というお題が出ると,初心者は「柿の木に1つだけ柿の実が取り残されて,夕日が照らしている」のような句を作るそうです。
では,どうしてそういう発想になるのか?
それは柿の実を1つ,または2~3こ木の枝に残しておく風習があるからでしょう。
その残された柿のことを「木守柿」(きもりがき・こもりがき)と言い,俳句の世界では秋の季語,一部の歳時記では冬の季語とされています。
来年も豊作にと願いを込めて柿を残すのが木守柿ですが,他にも鳥への贈り物,旅人への施し,神様へのお供え物,柿への感謝などの意味があるそうです。自然をひとり占めにしない,日本人の感性が生んだ習慣なのでしょう。
本臥せていつも眼とあふ木守柿 福田蓼汀
(ほんふせていつもめとあうきもりがき)
「季語秀句用事用例辞典」より。
福田蓼汀(りょうてい)は1905年(明治38年)山口県生まれの俳人,登山家。
本名は幹雄。父は陸軍中将で母は「ホトトギス」の俳人でした。

福田蓼汀の世界 (昭和俳句文学アルバム)
東北帝国大学法文学部法科在学中に学友の勧めで高浜虚子門に入りました。
1940年には「ホトトギス」同人。1948年,「山火」を創刊・主宰。
1961年の俳人協会設立にも参画,のちに副会長も務めています。
1984年に勲四等瑞宝章を受章,1988年に82歳で亡くなりました。
今日の句は,そのままの解釈でいいのでしょうか。
読書の途中,目を休めるために本を伏せて窓の外に目をやると見える木守柿。
時には鳥がとまってついばんでいるときもあるかもしれません。
「見る」「見える」と言わずに「眼とあふ」と表現したところが,この句のおもしろいところでしょうか。
では,英訳してみます。
本臥せていつも眼とあふ木守柿 福田蓼汀
Laying a book face down
My eyes always catch
The last persimmon left for birds
「木守柿」を句の中で説明するのは難しいです。
この句の中では,鳥のためにわざとの残した最後の柿,としました。
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