踏切の名前の謎(2) パーマ踏切!?

前回に続き,踏切についた名前の話です。
少なくとも私は,全ての踏切に名前がついているなんて思ってもいませんでした。

全国の駅に名前があるように,その3倍以上と言われる3万を超える踏切には名前があるのです。
そして,その名前には消えてしまった地名や,笑ってしまうようなエピソードが残されています。

それを教えてくれたのが,ラジオで聞いた今尾恵介さん。
彼の著書が朝日新書の「ゆかいな珍名踏切」(第1刷発行日は今日です。)

ゆかいな珍名踏切 (朝日新書) - 今尾 恵介
ゆかいな珍名踏切 (朝日新書) - 今尾 恵介

私が買った本には,こんな帯が! もうこれは読むしかありませんね。

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今尾さんがラジオで一番インパクトがあった名前として紹介したのが「パーマ踏切」です。

長野駅から飯山線で約25分,千曲川に近い上今井駅の少し南側に「パーマ踏切」はあるそうです。

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今尾さんは地図でもストリートビューでも「パーマ屋さん」を見つけられないので,現地まで行ったそうです。

でも,どこを探してもパーマ屋さんも美容院も見つかりません。
保線の仕事をしている人に聞いても,この近くには美容院はないと言います。

思い切って民家のおじさんに聞いてみると,昭和の時代には実際にパーマ屋さんがあったそうです。
でも,そのパーマ屋さんは豊野(飯山線の起点)に引っ越してパーマ屋さんを営んでいるとか。

この標識の「6K300m」とは起点の豊野から6キロ300メートル地点という意味。
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これがパーマ踏切で,遠くに千曲川が流れています。
この道を下ったところに昔はパーマ屋がありました。今は別の家が建っています。

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今尾さんのおもしろいところは,豊野に引っ越したというパーマ屋さんのことも書いています。
そのことを編集担当に話したら,その担当者がすぐに調べてくれました。

Yさん一家はもとは東京に住んでいましたが,戦況が厳しくなって上今井に疎開
東京の家が空襲で焼けてしまったために,戦後にこの地で母親がパーマ屋を開業

母親はかつて着付けと電気パーマの技術を習得していました。
するとこのパーマ屋さんが大人気に。

踏切はパーマ屋ができる前からありました。
枕木を並べただけの簡単なものだったそうで,正式な踏切ではなかったかもしれません。

「踏切を渡って,川を渡ればパーマ屋」と客たちは教えあっていたそうです。
いつしかこの踏切は「パーマ踏切」と呼ばれるようになりました。

踏切に歴史あり。

パーマ屋は繁盛しましたが,目の前の小さな川が4回も氾濫して,店に水が入って来るようになりました。
それを機に豊野に引っ越したのです。昭和28~29年の頃だったそうです。

踏切にも人にも歴史あり,ですね。





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