ニホンザルの芋洗い行動 ~人間以外にも文化?

前回,カラスがクルミを車に轢かせて食べる,「クルミ割り行動」について書きましたが,当初は外国の研究者には認められなかったようです。
キリスト教の考え方では人間が動物の中では最高の生き物であり,人間以外が高度な知能・思考を持ったり文化を持つなどとは考えられなかったのではないでしょうか。

カラスの次に書こうと思っていたのが,これも日本の例ですが,幸島のニホンザルの芋洗い行動です。
(あきあかねさんから頂いたコメントにもありました。)
2monkey1.jpg

幸島は「こうじま」と読み,宮崎県串間市,石波海岸から200m沖合にある小さい島です。
2koshima_island.jpg

京都大の研究チームが1952年に野生ザルの餌付けに成功し,観測ができるようになりました。

そのうち,子ザルがもらった芋についた泥を川で洗って食べるようになりました。
すると,「芋洗い行動」は遊び仲間と家族というルートで広がっていきました

そして「芋洗い行動」は次世代に受け継がれていく過程で,海で洗うことによって塩味をつけることを覚えました

従来「文化は人間固有のものであり,動物にはない」と考えられていましたが,世代をこえ時代をこえても伝わっていることは,「芋洗い行動」は文化であるとされました。

こちらが,その幸島のサルの「芋洗い行動」です。




こちらは,そのことを書いた新聞記事。

2monkey.jpg


さて,この島が宮崎県・幸島ですが,対岸の浜辺には「百匹目の猿現象」という言葉が記されています。

2Koujima_Island_Miyazaki_Japan_200809.jpg

この,「百匹目の猿現象」( Hundredth Monkey Effect)とは,生物学者のライアル・ワトソンが創作した架空の物語だそうです。
2Lyall_Watson.jpg

幸島のニホンザルの一頭がイモを洗って食べる事を覚え,同行動を取るサルの数が閾値(ワトソンは仮に100匹としている)を超えたときその行動が群れ全体に広がり,さらに場所を隔てた大分県高崎山のサルの群れでも突然この行動が見られるようになったという物語だそうです。

「ある行動,考えなどが,ある一定数を超えると,これが接触のない同類の仲間にも伝播する」という超常現象の実例とされますが,真偽は定かではありません。


今日の記事は Wikipedia を中心に参考にしたり,画像をお借りしました。


最後に,一昨年くらいに話題になった青森のニホンザルの動画です。



この動画は外国でも話題になりました。
ニホンザルはすごいなあ。








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この記事へのコメント

2020年03月18日 09:00
おはようございます。

 動物の、こうした後天的獲得形質が人間の文化と同等であるのかどうかについては、まだまだ学者間で異論があるようです。でも、人間の文化がこうした行動を起源としている、という事については、私も同意できます。

 こうした”文化”の発生についてはいくつかの条件が必要なようです。
  ・その種が群れを作る種である事ー社会性
  ・若い個体が新しいことにチャレンジできるだけの余裕と能力がある事ー経済的なゆとりと好奇心
  ・その新しいチャレンジの結果が群れで共有できることーコミュニケーション能力
 他にも必要条件があるのかもしれないのですが、こんな所かと思います。

 先日、NHKの「ダーウィンが来た」で大変面白い事を放送していました。シジュウカラの言語についてです。
 シジュウカラはいくつかの”単語”を組み合わせて”文章”を作っているのだそうです。それは後天的なもので、子は親からそれを教わるのだそうです。これに地域的な差(方言)があるのかどうかについては触れられていなかったのですが。これも動物の”文化”だと思います。たぶん、こうした例はこれからも続々見つかってくると思われます。
 決して、人間だけが神に選ばれた特別な存在ではないと思います。
2020年03月18日 09:12
いいわすれましたが、、、

 ライアル・ワトソンが作品の中で設定した「文化となるための閾値」ですが、これは私も賛成です。文かとなって継承され、固定化するには、一定程度の個体数が必要ですし、その個体間のコミュニケーション(社会性)が確立している必要があります。その数が100で良いのかは分かりませんが(もっと少なくても十分だと思います)。
2020年03月19日 06:34
あきあかねさん
おはようございます。
シジュウカラの例は初めて知りました。おもしろい例ですね。イルカやハチにも共通の伝達方法があるとすれば,それは言語に近く,広い意味で文化になっていくのではないでしょうか。まあハチのダンスは本能に組み込まれたものかもしれませんが。
閾値の100についても,その数はその種によっても異なると思いますが,私はけっこう100を何か判断するときの基準にしています。
CM中に物をとってこれるか? 100秒あればできる!
この文書今日仕上げるべきか? 100分あればできる!
この企画できるかなあ? 100日あればできる!
100個,100人,100回・・・けっこうこれで踏ん切りをつけることがあります。
この動物の文化・行動,あと数回だけ書く予定です。